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おおのじょうの伝説(釜蓋原の弘法大使)

場所
釜蓋
分類番号
歴-0052か 文-0073か

釜蓋原の弘法大使

四王寺山の西の麓の集落釜蓋(かまぶた)というところは瓦田(かわらだ)村に属していました。戸数はわずかに十数戸しかありませんが、縄文・弥生・古墳時代の遠い昔から人々が住みついていたところです。村人は純朴で勤勉な人たちばかりで、田畑を耕し山林を育てて生計を営んでいました。
稲の刈り入れも終わり年貢(ねんぐ)納入の準備も済んで冬支度にかかる11月になると、村決めに従って一斉に四王寺山の共有林に入り、冬の間に使う薪と牛馬の秣(まぐさ:牛や馬の飼料となる草)を採りに行きます。
今日も早朝から山支度を整えた村人たちは釜蓋原に集まり、長老の指図により山に入り、それぞれ指定された場所で薪を集め秣を刈ります。夕暮れ近くになりそれぞれに採取した薪や秣をまとめて、再び釜蓋原に集まってきました。この季節でも夕方になると山麓の台地は冷え込んできます。附近の草木を集めて焚き火をはじめました。
みんな一日の疲れも忘れて楽しそうに焚き火にあたりながら輪になって、今年の米のでき具合や、働き者の嫁や可愛い孫の自慢話など、とりとめもない世間話に花を咲かせて、いつまでも焚き火の側を離れようとしません。
そのとき「すみませんがちょっと焚き火にあたらせてくださいませんか」と、薄汚れた旅衣(たびごろも)をまとった1人の旅の僧が近づいて来ました。村人たちは気軽に「どうぞどうぞ」と言いながら、この旅の僧を焚き火の輪の中に入れてあげました。
そして昼の残りの弁当とお茶を出して「こんなものでよかったらどうぞ召し上がりくださいませ」と差し出しました。旅の僧は喜んで弁当を食べながら、今まで廻ってきた諸国の風物や人情などについて話してくれました。村人たちも熱心に聞いておりました。その話の中にはたくさんの教訓も含まれていましたので、感心すると同時に心地よく温かいもので、胸がふくらむような気持ちになりました。
それからしばらくは旅の僧を中心に話が弾みましたが、いよいよあたりが暗闇につつまれてきましたので、誰からともなく家に帰ろうということになり、焚き火に水をかけると白い煙が一面にたちこめて間もなく火は消えてました。
村人たちはそれぞれの荷を背負って帰ろうとしてふと気がつくと、旅の僧の姿はありません。今まで旅の僧が居たところに一塊の石が残っています。折から雲間を出た月の明かりに照らされた石をよくよく見ると、それは一体の弘法大師(こうぼうたいし)の石像でありました。
村人たちははじめて今の僧が弘法大師であったことを知り、今まで聞いていたお話を思い出し、これからもその教訓を守り仲良く仕事に精を出して、みんなで釜蓋の里を豊かで幸せな村にしようと誓い合いました。
そしてこの地にお堂を建てて弘法大師の石像を安置して祀り始め、ここを大師原と呼ぶようにしました。