場所
大野城市乙金地区の北方
分類No.
歴-0030か

通称「ゴリラ山」

乙金区の北方、宇美町との境界、井ノ山頂上にあります。
戦国時代(16世紀)、太宰府から宇美に抜けるための交通の要衝であった唐山峠に築かれた唐山城は、岩屋城(いわやじょう)の向城(むかいじろ)として築かれたそうです。

『筑前国続風土記(ちくぜんのくにぞくふどき)』に「乙金村にあり、山頂に古城の址二所あり。東城は安河内備前(やすこうちびぜん)と云者の居城なり。
西城は神武修理亮(こうたけしゅりのすけ)居城也。両人ともに大友に属せり。神武は宇美の神職なりと云伝ふ。此城は立花城の遠見城(とうみじろ)なりと云。」とあります。
大友氏の拠点として御笠郡の押さえの山城でした。