場所
大野城市牛頸3丁目
分類No.
歴-0031ふ

戦国時代の山城

市の南部牛頸三丁目、通称「城(じょう)の山(やま)」に残る戦国時代(15~16世紀)の山城です。
主要部分は保存されて山頂に遺構が見られます。
『筑前国続風土記』や牛頸区にある奈良原兵庫助高政(ならはらひょうごのすけたかまさ)の墓碑銘に記録があります。

その記録によれば、秋月氏の旗下(きか)の奈良原刑部少輔(ぎょうぶしょうゆう)が城を築き、その子孫の奈良原兵庫助(ひょうごのすけ)は豊臣秀吉の九州攻めの時に討ち死にしたことなどが記されています。
しかし、『筑紫家文書』などの近年の調査研究により、築城は奈良原氏によるが、秀吉の九州攻め当時は
すでに秋月氏方にかわって筑紫氏の端城(はしろ)になっていたことが判明しました。