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おおのじょうの伝説(ひんどの人柱と火の玉)

場所
大野城市山田
分類No.
歴-0045や 文-0066や

ひんどの人柱と火の玉(山田)

今年もまた宮添井堰(みやぞえいぜき)は大洪水のため流されてしまいました。
山田村では、その修理のための話し合いが昨日から続いていますが、村人たちは疲れはててしまって、話し合いはなかなかまとまりません。その時誰言うとなく、「人柱をたてると壊れないというのに・・・」と言う声が出はじめました。しかし、生きたまま井堰の下に埋め込まれるのですから、自分から進んで人柱になろうと申し出る者はおりません。とうとう夜になって村人たちはみんな家に帰ってしまい、世話人だけ残ってまた相談を続けましたが、よい知恵は浮かんでこず、話は途切れがちになりました。
先程から黙ってみんなの話を聞いていた庄屋の甚兵衛(じんべえ)さんは最後の手段として人柱をたてることに決心しました。そして翌日の公役(くやく)(村民総出の共同作業)のときに、横縞(よこじま)の襟(えり)の着物を着ている者がいたら、その人を人柱にしようと世話人に申し渡しました。
夜が明けると、作業準備をして宮添井堰に集まるように、村中に連絡しましたので、手甲脚絆(てこうきゃはん)に身をつつみ、ほほかぶりに菅笠姿(すげがさすがた)の村人たちが、続々と集まって来ました。早速作業にかかりましたが、その中に横縞の襟の着物を着た人がいたのです。世話人たちは昨夜の庄屋さんの言葉どおり、その人の手足をとって井堰の下に埋め込んで、作業を完了させました。
作業が終わってホッとした村人たちは、笠をとって汗をふきながら、自分が人柱にならなかったことに安心し、生きながら埋められた人の不幸に同情して、そっと周囲を見まわしますと、庄屋甚兵衛さんの姿が見当たらないのです。急いでみんなを集めて探しましたが、庄屋さんはどこにもいませんでした。
自分の命を犠牲にして、みんなのために人柱になった庄屋さんに、村人たちは感謝の涙を流しこれからも力をあわせて仲良く助けあい、豊かな明るい村にすることを誓い合いました。
こうして完成した宮添井堰は、その後の大洪水にも壊されないで、田畑をうるおし、毎年豊作が続いて豊かな村になりました。
人柱が庄屋さんとも知らず、井堰の下に埋めるため、手足をとって運んでいた時、甚兵衛さんが着ていた羽織(はおり)の両袖がちぎれてとれたので、それから袖の無い羽織のことを、甚兵衛羽織と呼んで、庄屋甚兵衛さんの功績を、後の世に語り伝えたということです。
このことがあってから毎晩のように、宮添井堰を中心に御笠川の堤防(ていぼう)の上に、火の玉が出るようになりました。はじめは恐れていた村人たちも、きっと庄屋甚兵衛さんが火の玉となって、この井堰を見守っていてくださるのであろうと、あらためて甚兵衛さんの徳をたたえ、火の玉に向かって手を合わせて、感謝していたということです。